ウォーク部 2015年1月19日

2015年01月19日 | ウォーク部

復興の神戸 減災の歩み 震災メモリアルウォーク
 阪神大震災から20年になる1月17日を前に、わいず倶楽部は1月10日、神戸市中央区のゆかりの場所を訪ねる震災メモリアルウォークを行った。兵庫県の後援を得て「阪神淡路20年事業」に登録。193人が約6kmのコースを歩き、地元の交流会メンバーら12人が炊き出しなどで協力した。参加者たちは震災当時を思い出しながら年の歳月と復興した神戸の街に感慨を抱き、防災・減災への思いを新たにしていた。

 脇浜公園で開始式を行い、「震災の被害と教訓を伝え、あらゆる災害に備えていこう」などと誓いの言葉を唱和して出発。震災後に開発された新都心・HAT神戸にある「人と防災未来センター」で、参加者たちは地震破壊のすさまじさを再現映像で体験し、震災から復興への歩みを伝える展示に見入っていた。

 兵庫県川西市、野村好夫さん(64)は「震災直後、鉄道の代替バスを運転して被災地を通った記憶がよみがえりました」と語り、妻の美枝子さん(64)は「映像は衝撃的でした。同じ兵庫県に住んでいながら、これほどだったとは思っていませんでした。帰ったら、今後予想される大地震への備えを家族と話し合いたい」と誓う。2年前に埼玉県から神戸市須磨区に移住した木下正さん(71)も「妻と一緒に改めてゆっくり見に来たい」と話していた。

 災害時には防災拠点ともなる「みなとのもり公園」では、震災時の東灘消防署長で、現在は震災の「語り部」を務めている西村幸造さん(80)が体験を披露。市民の期待に十分に応えられなかったとの思いから「自分の命は自分で守るという気持ちが大切」「防災訓練には顔を出すだけでも意味がある」などと訴えた。

 またNPO法人「コミュニティー・サポートセンター神戸」、ボランティアグループ「東灘こどもカフェ」、わいずの東灘・灘交流会のメンバーが豚汁の炊き出しを行って参加者にふるまった。震災では家が半壊し、避難所の小学校で1か月近く過ごしたという同交流会の世話人、金谷弓子さん(71)は「私たちも当時の思いを伝えて日頃の備えに役立ちたい。特に近所との連携を密にしてほしい」と話す。

 大阪市阿倍野区から参加した吉村礼子さん(58)は「炊き出しを受けてみて、震災当時に暖かい食べ物はありがたかったのだろうと身をもって感じました。西村さんのお話も心に響きました」と語り、同市西淀川区、福元美良さん(76)、良子さん(70)夫妻は「個人で身を守ることの大切さを痛感しました」と気を引き締めていた。

 昼食後は東遊園地で「1.17希望の灯り」と震災で亡くなった人たちの名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」を訪れ、国道沿いでは被災して鉄骨が曲がった高架道路の橋脚モニュメントを見学。ゴール地点のメリケンパークでは壊れた岸壁が保存されている「神戸港震災メモリアルパーク」で説明を聞いた。

 大津市の栗元征男(73)は「当時は福岡市に住んでいましたが、西宮の義兄を見舞った際、土ぼこりのにおいがすごかったことを覚えています。被災地はこんなに復興しましたが、当時のことは忘れてはいけないと感じました」と再認識。川西市の沖元英一さん(59)、京子さん(58)夫妻は「知らない場所を訪問でき、『減災』という言葉を学びました」と話していた。

 スタッフとして昨年秋から準備に当たってきた「ウォーク部」の赤崎恒二郎さん(65)は「みなさんに満足していただけたようで、何度も下見を繰り返したかいがありました」と満足そう。岩見宗之さん(67)も「参加者のみなさんと話をして震災への思いをうかがえたことが貴重でした」と喜んでいた。

写真=(左から)「人と防災未来センター」で、震災の記憶を残す展示に見入る参加者たち、参加者に豚汁の炊き出しを行う東灘・灘交流会のメンバーら、神戸港震災メモリアルパークで説明を聞く参加者たち

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